涙の理由
ブログ巡りをしていて「あー分かるなぁー」と、つくづく思ったことがあります。
私のように義理親と長いこと同居し、見送った嫁たちの心情が他の嫁とは少し違うのだと言うことは以前から気付いていました。
ある方のブログ記事には姑が亡くなって、見送りの際に涙が止めどなく溢れたけれど、それは決して姑への涙では無かったとありました。おそらく、長い間にあったいろいろな葛藤と頑張って来た自分に泣けたのだと思います。
これは来る日も来る日も、姑の顔色を見て暮らした嫁にしか分からない自然な心模様です。事情があって同居しなけれはならない嫁は、夫の思いやりが無けれは夫婦関係も上手くは行かないのです。誰も好き好んで義理親との同居はしません。
夫の親だからこその我慢を強いられることは、同じ嫁でも親子だけで暮らした人には決して理解出来ないでしょう。たまに会ってニコニコしてれば親はご機嫌かも知れません。
雨も、どしゃ降りもある同居は想像すらしないでしょう。
そんなに嫌なら… …
「家を出ればいいじゃない」
「離婚は考えないの」
「姑に遠慮なんかしなくていいでしょ」
などなど、誰もが言う言葉です。
簡単に出来たらどんなにいいか… …
昔は、長男には嫁がせたくないと娘の相手を親も選んだようです。恋愛結婚はそうはいきません。
今でも、長男のしがらみからは実質的には抜けられないのが現実でしょう。相続上の問題も絡みます。
問題は、その妻が成り行き上、義理親の介護に大きく関わることです。夫に兄弟がいても、姉妹がいても、「私が看ます」と積極的に言って来る者はいないでしょう。
自分の親でさえ出来れば逃れたいのが本音です。
これは順送りだからなどと、わかったようなことを言ってもその時が来れば上手く拒否られるのです。
嫁とは因果なものです。