ここにいるよ!

ここで待ってるから見つけてね!

本当に認知症?

タイトルのように、姑の行動で???と、疑ってしまうことがあります。

よくよく考えれば波があるってことなのでしょうが、その変わりようについていけない私もいるのです。


電子レンジの使い方だって教えたら覚えて使ってるし、取り替えた時には使えないかな?と思ったけど、しっかり使えてる。

そのくせ掃除機や、その他の…たとえば五年前までは使っていたファンヒーターに灯油を入れられないと言って誰かに入れて貰ったり。それも旧式のポンプですよ。(笑)

今はオール電化ですけどね。


そんな事を夫に言ったら「煩わしいことは出来ないと言えば誰かがやってくれると思ってるんだ、食べることは我慢出来ないから自分で何としてもやるんだよ」…だって。(笑)


本能だけはしっかりあるってこと?

そう言えば、最近の食欲は半端ないわ。

いま、私がスマホでコレを書いてる最中に、横で姑は朝ごはんをムシャムシャ食べております。(笑)

本当にムシャムシャがぴったりの表現です。時々ゲップなどしております。そんなにガッつかないでよ。


多分、私が横に居るので急いで食べてる?

食べ終われば、さっさと自室に隠りベッドに潜るのでしょう。……と思ったら何をおもったか私の側に座りましたよ。


私は話し掛けられるのが嫌なので、ひたすらスマホを打ってます。だってね、話ったって、大昔の浦島太郎ですよ。何十年も前になくなった私の知らない人の話なんて誰が楽しいもんですか。

同じ話を何度も繰り返すのはいつものこと。

エンドレスですわ。


毎日、これに疲れてしまうのです。姑はそりゃーさぞかし満足でしょうよ、話が出来て聞いて貰えて。

私はどうなる?この溜まったストレス。


あぁなると、もう自由奔放で何のストレスも無いから長生きするんでしょうね。

半ボケと言う言葉があるけど、正にそれがぴったりの姑です。 したくないことはボケを理由に拒否し、食べる、寝るの本能は我慢しない。


あれ?

私が黙ったままスマホをいじってるものだから、話すのは諦めて出て行ったわ。

もう満腹で眠くなったのね。


私の名誉のため言っておきますが、これは虐めでも何でもないです。私と姑が程好い距離を保つ為の秘訣です。

お年寄りは、長く生きた分、どうすれば若い人に優しくされるか知ってます。分かりやすい言い訳を言って同情を引くこともね。

実の娘なら大喧嘩になることも、他人である嫁なら姑も我慢するんです。


だからこそ同居が出来たのです。

姑には、もう少し頑張って貰いたいです。

介護と覚悟

姑は、今日はデイがないこと知ってか知らずか、7時に起きてトイレのあと、リビングを素通りして、いつもの「今日、デイなの?」と聞かなかった。こんな時、無理に起こさず知らんぷりしている私。


次に起きたら声を掛けようと思って、私は事務所に行った。

私はいつもと変わらず、朝は五時半頃に一人朝食。夫は朝ごはんは食べないので、昼までには仕事や家事を全部やってしまおうとフル回転。

夫は七時半過ぎに出掛けた。


私は11時過ぎにお腹が空いたのでキッチンに行くと、朝、姑に用意しておいた朝食が、まだそのままになっている。

構わず私は食べ始めた。すると、気配で目が覚めたのか、それとも流石にお腹が空いたのか姑が「おはよう」とリビングに入って来た。


お味噌汁を温めてご飯と一緒に出した。

朝ごはんなのか、昼ごはんなのかも分からないまま、黙々と食べる姑は、もはや本能だけの人のよう。


朝食に用意したオカズは、夕べ半分だけ食べた煮魚の残り、たくあん二切れ、切り干し大根の煮物、梅ニンニク、マカロニサラダ、納豆、ご飯、野菜と豆腐のお味噌汁。


最後に必ず、白湯を飲む姑は、もう一度味噌汁を少しだけお椀に入れる。その時、スリッパのパタパタが気になった。

いつものことで、納豆を食べるとなぜか、衣服だったり床だったりボロボロとこぼすのです。

その都度、床やスリッパを消毒用シートで拭いてはいるものの、納豆の臭いは独特なので消臭スプレーも撒きます。

卵は生は食べません。

目玉焼きはかりかりに焼かないと食べません。

意外に好き嫌いがあって、手間が掛かるのです。そういうこと(姑の世話)を嫁の私がするのは当然と思っている姑ですから、有難いなんて思ってはいないでしょう。


姑がすることは何もなく、着替えも、デイに行く準備も、部屋の掃除も、洗濯も、何から何まで家政婦のゆゆかさんがやるのです。(笑)


介護と一言でいうのには余りに範囲が広く、時にはお節介に近い気もします。70前後の私でさえ、毎日キチッと規則正しく学校みたいな時間割りが組まれたなら窮屈で仕方ないです。

それを90過ぎの婆さんが、追い立てられるようにレールに乗せられるのはどうかなーと思うことたびたび。長い旅の終着駅近くまで来たら、残りの時間を惜しむように、のんびりと暮らすのも幸せなのかも知れません。


独り暮らしの老人は、生存確認の為と、社会や人との関わり、繋がりを、デイやサービスを通して得る必要もあります。

また、介護する側に、一時の休養と心身のゆとりを持たせる意味でのデイサービスです。


私の同年代では、子供達による介護は望んでいる人は少ないでしょう。いや、いないでしょう。

経済的な理由で仕方なく…という場合に限られるかも知れません。超高齢化社会が来て最初の実験台に乗る私達は、相当の覚悟でこの先を生きるのでしょう。

続き

今さっき投稿した記事を読みなおしたら、なんてネガティブなグチグチなんでしょう。

過去に囚われて進歩のない、つまらないブログをダラダラと。


でも、これが私の姿なんです。


だからこそ、自分を反省するために書いて読んで「アホだなぁ」って。(笑)


また、気持ちを入れ換えて頑張れる。

そう、その為のブログなのよ。

久々に姑と口論

時々、不意にやってくる攻撃に私はキレた。

こっちの気持ちを見透かすように、反抗的な言葉と態度に冷静さを失う。


相手は認知症の姑だよと自分に言い訳するのがやっと。

私は40年も昔の、若い嫁に戻ってしまう。

上から目線、姑の威厳だか何だか知らないけれど、子供見たいに自分の本音を嫌と言うほど見せ付けられて、認知症になっても嫁に対する気持ちは変わっていないんだなと、つくづく自分が情けなくなりました。


私は、そういうことを軽く流せないほど、心が無理をしているんだと思う。

介護うつなのかなとチラッと過る。

そりゃそうだ、70の嫁が90の姑の介護をしてるなんて老々介護もいいとこ。


姑と言い合って30分もたった頃、リビングにやってきた姑は何事も無かったように、「お腹すいた、今何時?ご飯まだ?」だと。

私と夫は顔を見合せキョトン。


夫は自分の母親だから仕方ないとしても、私はどうやって感情をコントロールしたらいいのか分からなくなる。

他の兄弟は、ほとんど丸投げの介護で「お願いします」のみ。


どうして日本は、この問題を深く考えて来なかったのだろう。

長男の務めみたいな意識は若い人にもあるようだ。


縛りつけられた長い長い年月、そしてまだまだ続く介護、何の義務も無いのに。

パッとしない天気

13度の予報だったけど午前中は風が強くて

、外干しした洗濯物が飛ばされそうなので室内に入れた。

午後からどんどん雲ってきて、まだ2時だというのに夕方みたいな空になった。

天気次第で気持ちは変わる。


午後から孫守り頼まれて、肉じゃが煮ながらYouTubeを二人で見た。

飽きて、次はオモチャピアノで盛り上がり、その次は、あー何も思い付かないなー。

じゃー デコポンでも食べようか。


こんな時間が貴重なんだよね。

今しか楽しめないことだもの。

一番下の六歳の男孫、可愛いな。

いつも一人遊びばかりじゃ可哀想。

婆さん相手はもっと可哀想。


爺さん、婆さんは孫にしてあげることは限られてる。幼児ならまだしも小学生以上は相手にされなくなるのも時間の問題。


本当に今しかないって思います。

あとは、時々のお小遣いとお祝い、お年玉など「お金」に関することのみ。


歳取るってそういうことなのね。

今のうちに遊んであげないと、孫には何の記憶も思い出も残らないかも。

なぁーんてね。