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嫁の反乱

私は結婚とともに義父母との同居が決まっていた。
今から40年以上も昔のこと、同居は珍しいことでは無かった時代だ。
稼業を継いだ夫と結婚したのだから同居はもう決まっていたことだった。
世間知らずの私は、同居の難しさとか姑との接し方もまるで知らないまま、大家族の中に飛び込んだ。
父方の叔母は、無謀とも思える私の結婚に「お姑さんと仲良くやれるの?」と心配した。
大家族の大きな家、まだ結婚前の弟妹がいる。
それだけでも大変じゃないかと、叔母は私の気性を知っての不安があったようだ。


私はあっけらかんとして、笑って「大丈夫よ」と答えたが、その後一年ほどして叔母の心配は現実になった。


姑は私に、嫁としての教育をしようと朝から晩まで干渉した。
客が来たときの挨拶から始まり、お帰りの時のお見送りまで、まるで旅館の女将さん修行だ。取引先や親戚の酒の席も度々あった。
夕方になると舅の知り合い(隣近所)が、来たばかりの嫁の私を見ようと代わる代わるやってきては酒の席となった。夫も加わり賑やかに宴は続く。
料理を振る舞うばかりではなく、客人が帰るまで聞き役をさせられた。
姑は愛嬌よくお酒を注ぎ、姑の威厳を見せていた。


夜も更けて、やっと客が帰れば後片付けがある。
舅、姑、夫の順にお風呂に入っても、まだ仕事が残っていた。
やっと私の番だと、入ろうとすると小姑が何処からともなく現れて「お先にー」と言う。
いままで何をしていたのかと腹が立ったのは一度や二度では無い。
いつもいつも私は終い風呂で、起床は一番早い。
弟や妹の弁当も作った。いや、作らされたと言うべきだ。


姑は、弟や妹の世話までさせることが普通だと思って来たので、遠慮とか気を利かすとかいうのが全く無かった。何かと「私も姑にこき使われた」とか「嫁はそういうものだ」とか言って私をマインドコントロールした。
何も知らずに嫁に来た私は、陰で夫に愚痴をさんざんこぼした。
夫は、そんな封建的な家庭で育ったせいもあったが、長男の甚六とかいう、殿様のような扱いに慣れてしまって、それこそ何も知らないお坊ちゃまだった。


一年ほど我慢に我慢を重ねたが、ついに私は我慢の限界が来た。
舅、姑を前にして、これまでの愚痴とも悪口ともとれる姑の私に対する理不尽な扱いを直訴したのだ。なんと大胆で浅はかな嫁だろうか。今ならそう思える。


そもそも、姑は外面が良く、嫁の私には思いやりの欠片も見せない人だった。
口は上手いので外の人間は「姑さんはいい人」と言って姑を立てた。
姑はきつい性分で、家族の誰もが言い返すことさえしなかった。舅は物静かで姑の言いなりだったし、家の中のことは姑に任せっきりだった。


今思えば、気に入らない嫁の私に嫉妬もあった。
可愛い息子を盗られたような気持ちはあったろう。
別居では見えない、若い夫婦の語らいの姿を毎日見ているのだから、まだ40代だった姑は恋人を盗られたように思えたかも知れない。
息子に対する思いや関わり方は、その母親の性分によって様々だ。
息子が結婚しても、何が何でも干渉をやめない姑も居るし、自ら望んで息子への世話を嫁に託す姑も居る。


嫁姑関係とはよく言う言葉だが、婿舅関係とは滅多に聞かない。
それだけ女は厄介な生き物だと思う。
女々しく見せかけて実は執拗で凶暴性もある。おぉー怖!




反乱を起こした私がとった行動については、続編を書こうと思っているが、私の気まぐれは時としてストップを掛けたり、急ブレーキを踏んだりすることもあるので期待しないで下さい。いま、まぎれもなくここに居るということは、丸くても歪でもここに何とか収まったということです。(笑)

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