ここにいるよ!

ここで待ってるから見つけてね!

昨日は叔母から電話がありました。
叔母は今、78歳になります。 父方の叔母で下から二番目です。
離婚歴あり、現在は一人暮らしをしています。
子供は3人ですが、それぞれが未婚、離婚の経験者で子供はいないそうです。
つまり孫は一人もいない叔母ですが、ときどき、自分の離婚が子供たちの結婚観を変えたと言う負い目があると言います。


その子供たちに私が会ったのは未だ独身の頃でした。
私から大阪まで会いに行ったのです。
上の子は小学4年生で、下に5歳と二歳が居ました。彼らは今、50代40代になっているそうですが、会ったことはありません。
子供たちなりに苦労してきたそうで、叔母は最近になってその苦労を思うと泣けてきて仕方ないそうです。
離婚後、これまで無我夢中でがむしゃらに働き、老後を見据えて蓄えを増やし、やっと昔を振り返ることが出来るようになったと言いました。


子供たちに、折に触れお金を送ったりこちらの名産品を送ったりしてきたそうですが、ある時、子供たちが母親から貰って嬉しいのは「手作り品」だと分かって、それからは幼子にあげるみたいに小物を手作りしたり、何か装飾品を手作りして送ってあげるようです。
すると子供たちは大事に大事に身に着けてくれたり飾ったりしていると報告があり、叔母は嬉しくて嬉しくて作らずにいられないそうで、それが今の暇つぶしにもなり幸せな時間になると言っていました。


涙無しでは聞けない話でした。


子供を思う母心とはそういうものです。
いつだって子供の喜ぶ顔が見たいのです。


私も3人の子供の母親ですが、今は亡き実母と私が一緒に暮らしたのは18歳まででした。
母は私を心配しノイローゼになり通院したこともあったそうです。
父が私を呼び戻そうかと母に言うと、母は「大丈夫、絶対に治すから呼ばないで」と言って自力でノイローゼから脱却できたのです。
後になって父から聞かされました。
後に数か月間、実家で暮らす嫁入り前の時間があっただけで私は嫁ぎました。
思えば舅姑との同居がこんなにも自由の無い、束縛のある日々だとは思いもしなかったのです。
結局、母が亡くなるまで年に数回の帰省だけでした。
母と一緒にランチしたり買い物をしたり、普通に出来たはずですが、里帰りを告げると姑の機嫌が悪くなるので言い出せなかったのです。
まだ携帯電話が無い時代には固定電話に掛けるのも舅姑の留守の時しかありません。
母もまた、電話しても私が思うように話せないだろうと遠慮していました。
電話機は茶の間にあり、姑がいつも居る部屋ですから聞かれて困る話(愚痴など)は出来なかったし、他人行儀な会話になるのは必至です。
今なら嫁の方が強いので、「バカじゃないの、そんなに気を遣って」と一笑に付されるでしょう。


私の悔いは、母親との時間を多く作ってあげられなかったこと、これに尽きます。
母は嫁に出した私の幸せばかり願っていたので、自分の寂しさなど言いませんでした。
むしろ、義母への手土産を必ず持たせ(姑の衣類、小物など)ました。
私が少しでも大事にしてもらえるようにとの母心だったのではないでしょうか。



今、私は、母に尽くせなかった恩を姑で果たしています。
だから介護は辛いけれど頑張れるのです。

×

非ログインユーザーとして返信する